企業には30年寿命説が存在します。30年に一度産業革命が起き、その転換期に世代交代を激しく進め、乗り越えられなかった企業が消滅するという説です。「久保田商店」のある安曇川町の主産業は、江戸期からの伝統産業である扇骨業。先代久保田喜八郎が家業の傘・灯篭屋を継いだのが1959年(昭和34年)でしたが、機械化によって手工業の伝統産業に翳りが見えた1963年(昭和38年)、久保田喜八郎は履物屋への転換を図ったのでした。
当時農業社会は工業社会への大変革期にありました。手造りから機械による大量生産へ、大量消費を可能にする流通革命の嵐が吹き荒れていました。全国的に商店街からショッピングセンターへ、零細店から大型店への流れが急速に拡大しつつあったのです。危機感を持った久保田喜八郎は、当時大型チェーン対策として設立されたカラコロチェーンに加盟して、靴・鞄の店へ再度転換を図ったのです。「屋」から「店」への大転換でした。